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「歴史の真相と大麻の正体(この世界はどこまで嘘だらけなのか?)」Tokyo DD Clinic 院長 内海聡著・三五出版2015.2.6


 面白い本です(^0_0^)!推薦図書にしたいくらいです!

 ただ、勿体ないです!せっかくの重厚且つ重要且つ新規な内容なのに、最近の辺見庸さんと同じで、感情が高まり過ぎて言葉が「汚い」のが、内容以前に鼻につきます。理系出身なのに、或いは、理系出身だからこそなのかもしれませんが、エビデンス不足で、説得力に著しく欠け、ただの感情をぶちまけたに過ぎなくなってます。本人が言う通り「内海神話」p5(いい意味でも悪い意味でも)なのかも知れません。・・私自身も反省せねば!と感じました。

 1 「この世界が根底から腐っていてすべて同根であり、すべてが嘘である・・」p3

私自身とても同感するとこですが、ただ、一つのまとまった本の「はじめに」に書かれていると論理的に問題多しという点で、これを読んだだけで読む気がしなくなってしまいます。批判・・「すべて」という言葉を軽々しく語って欲しくないとホリスティックの人=私としては思います。論理的には自己言及命題→自己矛盾を来します。

 2 「世界の何が見えるのか」「世界はどこまで嘘だらけなのか」p5

 この本が2部構成になっていて、第1部の「歴史の真相」は、私自身とても興味深く、共感し同感し、同意見に近いのですが、この本全体の基本ベースになっている「ムー大陸」「アトランティス大陸」の差異・対立構造図式は図式としてはとてもよいとしても、それを「歴史の真相」とタイトル付けするのは基本的に誤解を生むというか言語表現として誤謬そのものとも言えるかと思います。独逸語的に「物語」→「語られたもの」→「歴史」という視点が日本語の「歴史」という表現に包含されれば可なのでしょうが。つまり、「物語」として「神話」としては面白いです。つまり、「歴史」とするには、エビデンス不足というかエビデンス欠如です。

 「縄文文明」p28という表現の使用も安易過ぎます。其処まで言うのなら「カタカムナ」「ホツマツタヱ」に是非言及すべきです。それら各「歴史」「文明」と「宇宙人」「宇宙」との連関を言うのなら、其の視点自体は私も大賛成なのですが、それは決して「歴史の真相」の文脈ではないのではないかと思います。せっかくブラバツキーに言及しながら(p13-14)、シュタイナーやカバラ(言及すらされていません)の思索・哲学の深みが欲しいところです。

 「私は宗教やスピリチュアル系という枠が大嫌いだ。」p219 と言いながら、「私たちは自分たちを作ったかもしれない宇宙のなんらかを「神」と呼び、その末裔たちを天皇もしくは皇帝と呼んだ。」p32 という論理展開というか断定(暫定?)に違和感を感じます。と言うか、違和感を通り越して嫌悪感・拒否感すら感じます。

 「歴史のカギはムー対アトランティスの構図」p33 として、「ロスチャイルドシオニスト」の「現代的な陰謀論」を牽強付会に(そう見えてしまいます)根拠付けしようとしているが、それはそれで、とても面白い!視点ですが、此処でも「歴史の真相」という文脈にはそぐわないです。せっかく理系なのですから「仮説」という問題提起の仕方をとればよいのにと思います。

 「古事記」「日本書紀」p37 から「大和朝廷」p46 と、「皇族と貴族と、朝鮮半島」p49 から「大東亜戦争とはなんだったのか?」p99 及び「奴隷国家はこうして作りあげられた」p109 迄の歴史観はとても同感します。よく歴史を凝視されていると感心もします。

 「化学物質、電磁波の蔓延、放射能の垂れ流し、歪んだ医療システムの中にたゆたうわれわれはまさに家畜なのだ。 家畜が家畜でなくなり奴隷が奴隷でなくなるためには、完全なまでに現実を直視し、そのシステムを作り直すしかない。そのシステムはだれかが変えてくれることなどありえないのだから。」p118 という主張は、そのまま私の主張でもあります。

 「今の時代に生きている以上、私も文明のすべてを否定しているわけではない。しかし現在の世の中は狂いきっている。そしてそれを変えるためには、あなた方が信じている科学と学問と歴史と常識が根こそぎ間違っていると考え、洗脳に気づくところからすべては始まる。」p126 という「日本はどうあるべきか?」p119 も拍手しますし、とても同感するところです。

 3 このような第1部の「歴史の真相」に立脚して、いよいよ第2部「大麻の正体」です。

 内海聡氏の他の著書もあるようですが、それらを読む気力も意欲も皆無なのですが、ただ、「精神医学や心理学の嘘」「医学の嘘」「食や栄養学の嘘」「歴史の嘘」「政治の嘘」という視点には、とても共感します。「陰謀論的な内容の理解」もとても共感しますし、「自然とは何かということについて根本的に考えている」という視点も全く共感・同感です!

 確かに、内海聡氏の指摘の通り「大麻の奥深さを見いだせない大麻擁護論者たち」に納得する部分も多々あります。彼が想定しているであろう具体的な「大麻擁護論者たち」の主張・行動に私も違和感をずっと感じてきました。その点では、よく言ってくれた!とも思います。

 医師であるのに「医学不要論」を書いた内海聡氏ですが、大多数の最近の研修医、医師よりもずっと「医学」を研鑽された方なのかもしれません。それを踏まえた「医学」の側からの「大麻」の医学的批判は尊敬に値するかもしれません。「無毒大麻というものは本当に価値があるものなのか」の指摘は、衣料利用で大麻繊維と実際に関わっている私は合点が行くところです。ただ、医学的なエビデンスについては正直言って、今の私の理解を超えています。今後、此の視点からも「大麻」を見ていきたいと強く思います。安易に、「大麻擁護論者たち」のように「医療大麻解禁!」というスローガンを掲げるのではなく。

 「大麻とGHQの関わりの嘘」p181 の指摘も目から鱗で、スピリチュアルの側からの安易な「擁護」は私も反対です。「GHQやイルミナティ・・」との視点もよいとして、ただ「アトランティス側」の「画策」を言うのなら、第1部で指摘したように、もっと思索・哲学からの深みが欲しいところです。まぁ、ポスト「歴史の真相と大麻の正体(この世界はどこまで嘘だらけなのか?)」として自分で考えていけばいいのでしょうが。

 『大麻という草は「神の草であると同時に悪魔の草』であると思っている」p188 という内海聡氏の「思い」にも同感する所ですが、「麻酔い」を「大気や地球を汚染し続ける」と結び付けるのは牽強付会かと思います。例えば、CO2と「麻酔い」とは同列に議論できることではないのではないかと思います。内海聡氏お得意の医学的視点からはどうなのでしょう?

 「風の谷のナウシカ」原作本漫画は未だ読んでませんが、実はジブリの作品ではないそうなのですが、一連の宮崎駿のジブリ的な作品の中では好きな方で、映画を数回見た限りで推察するに、映画で描かれている以上の深みはあるのだろうなとは思ってました。是非原作本漫画を読んでみようと思います。

 「僧会も現在のキリスト教もユダヤ教も神道も、すべては相似形にすぎず、自然の摂理と宇宙の神理を侵食し続けてきた」p207 との内海聡氏の神道批判も一定理解できますが、つまり、イルミナティと同じく、神社『マネー』フェチに堕落している点では理解できますが、「神道は、天皇しか触ってはいけない、神棚にしか飾ってはいけない、つまり人類が触ってはいけない神聖なものを大衆化した。その罪深さは「腐海の植物」の意味を知らず腐海に手を出したに等しい。」p207 との指摘は同意出来かねます。

 批判・・「神道」という言葉の使い方を現代の社会的組織的な「神道」として、それを裏付ける「歴史」の中で使う限りでは、内海聡氏の神道批判は理解できますが(上述の神社『マネー』フェチ)、更に「神道」の根拠を、内海聡氏の用語で言えば「縄文時代」からそれ以前に求めるならば、つまり「歴史」以前、例えば、カタカムナ、ホツマツタヱ等に迄視点を拡げれば別の批判の仕方になるかと思います。

 「大麻が地球にとって必然の植物であることは間違いない。」p215 として「人類がこのような植物、あらゆる自然界にある物質、精神も含めて理解できるようになれば、大麻擁護論や大麻否定論などというつまらない論争など起きることはない」p215 との結論をせっかく出しておられるのだからこそ、上述の「歴史」以前の視点を大事にして欲しい!

 「人類は腐敗と堕落の道を歩み、ムー大陸とアトランティス大陸は滅亡し、われわれの文明も滅ぼうとしている。」p215 というのにも全く同感で、「そんな気がしてしかたがない」p215 ・・・・私も。

 「大麻擁護論者の行動はとどのつまりダブルスタンダードのウソツキなのだ」p216 との指摘は耳が痛い。

「自然というものは人類ごときのどうしようもない生物が操作することなど許されない。」p216 ・・まったく同感です。

この視点から核(核兵器・原子力発電所)批判、AI(人工知能)批判、ロボット批判、IPS細胞テクノロジー、遺伝子操作技術、医療システム批判、宇宙科学批判、更には、インターネット社会批判、電力システム批判・自然エネルギ批判・・近代批判ができるかと思います。


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