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                            「倧工」


ある倜突然、父の知り合いの倧工が這々の䜓でやっお来た。
倧工は、倧病院に通い、怜査入院も数回。その結果、医垫は、倧工に末期癌ず宣告した。癌が䜓䞭に転移しお手の斜しようがなく、䜙呜数ヶ月ず䌝えた。医療行為は特にしないのだから退院した。
倧工は、借家だった。狭い庭に、資材眮き堎を兌ねた䜜業小屋を建築しおいた。日雇い倧工の宿呜で、収入が皆無ずなったので、借家を出なくおはならなくなった。借家を返华するに圓たっお、その小屋を撀去しなければならない。
同業の仲間に頌むわけにはいかなかった。2-3䞇円/日の手圓を払う経枈的䜙裕はなかった。倧工ずしおのプラむドも蚱さなかった。
それで、玠人だが、倧工の経隓もあり、なによりもハヌフビルドで自分が教えた経隓もある父のずころに来たずいう次第である。
父は、超倚忙の䞭、暑い日射しの䞋数日間に亘っお、小屋解䜓・撀去をした。
い぀ものように、サンダル履きで屋根の䞊にあがっお解䜓䜜業した。
「あぶねぇなぁ」倧工は父に蚀った。
屋根の䞊で、錆びきったビット倖しに苊劎しおいる時、郚屋のベッドの䞊で盞撲を芋おいる倧工に少し腹が立った。「倖した建材を受け取るくらい手䌝えるだろうに・・」ず。
しかし、倧工は、䞀切手助けもできないくらい、病気が進行しおいた。
倧工は、埡瀌の぀もりか、倧工道具やら資材やら、父に枡した。
・・・
借家からほど近い地元の綜合病院に入院した倧工を、父は芋舞った。
よほど貧乏しおいたのか、病宀ベッド備え付けテレビ甚のカヌドを欲しいず蚀うので父は買っおあげた。杖も欲しいずいうので、祖父、父の父が䜿っおいたものを持っお行っおあげた。
倧工は、父に感謝した。「倧塚さたさただよ」ず。
綜合病院は入院費が高いので、嚘家族が䜏んでいる家の近くの療逊病院に近々転院するずのこずだった。病宀から垰る時、倧工は満面の笑顔で手を倧きく振っお芋送った。父は「ひょっずしお・・」ず感じたが、同じく笑顔で手を振っお去った。
・・・
しばらくしお、療逊病院に芋舞いに行き、受付で倧工の名前を告げたが、「入院者に居たせん」ず䌝えられた。盎ぐに、倧工の芪方に電話した。
「亡くなった」ず、芪方。
亡くなったこず自䜓も知らなかった、知らせおくれなかった・・・そんな人間関係だったこずに少し寂しくなった。ず蚀うよりも、倧工の最期に自分がやったこずは䜕だったんだろうず思った。ひずの呜の呆気ないこずに呆然ずした。
確かに自分は圌の倧工仲間ではない。だからこそ、自分を頌っおくれたこずもある。


・・・


父は、医垫の知り合いが少なからずいた。
「よくこういうこずがあるんだけど、き぀いんだよねぇ」
「倧工仕事が」
「いや、それは倧したこずないし、頌っおくれたこずは嬉しいけど。死に埀くひずが頌っおくるこずが・・」
「君の雰囲気がそうさせるんだろうね」
「うヌヌヌん」
父は唞った。
・・・父ず同幎代の倧工に起こった出来事にいろいろ考えさせられたんだず思う、父は。


                                                                   å€§å¡šæ«»

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