

「自然とは、われわれ程度のものがケアすべき対象ではないかもしれない」「〈私〉は〈私〉の自然を馴致されない姿においてとり戻さなくてはならない」稲垣立哉
「本当は、自然とは、われわれ程度のものがケアすべき対象ではないかもしれない。尊さにおいて対象をもち上げることは、対象の畏れるべき側面を、自己に矮小化して語るだけのことかもしれない。等身大に倫理化された自然は、出来合いの〈私〉という形象に牙をむいてくる力をそぎ落とされてしか描...


與謝野晶子「みだれ髪」プロジェクト始動
プロローグ 與謝野晶子との出遭いは、中学一年の時だった。偶然、廊下で拾ったプリントが、文芸部の人が落としたものだった。有名な「君死にたもふことなかれ」と「みだれ髪」の一部がプリントされていた。なにげか惹かれた。担任が国語の先生で文芸部の顧問だった。授業中「與謝野晶子、知って...


「自分」という『病』、「ホリスティック」という『病』」
(「免疫の意味論」多田 富雄/ 青土社1993/4/30 刊を読みました。) 「自己」と「非自己」の区別という問題が免疫のカテゴリーで提起されている。免疫が、個体のアイデンティティを決定するという視点は面白い。「自己」というものの成立が如何に曖昧なのか、ともすれば、決定論的...


2017年の総括と2018年の指針・・
2017年の総括・・ 1. 前半(3.3-7.2)は、建築インフラ補修&塗装集中期間で忙殺されました。 夏、韓国に大麻布の現状調査に行きました。 その過程で、自分にとっての「写真」の意味を問い、後半は、写真暗室集中期間を開始(9.1-)し、今に至ります。...