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無名記・・翻訳者とカメラマンに共通するもの・・


photo..workshop of a translator

無名記・・翻訳者とカメラマンに共通するもの・・ 翻訳者とカメラマンは似ているのかもしれません。翻訳者は「言語」の専門家ではあるのでしょうが、翻訳対象の世界では素人です。でも、それを書いた「専門家」レベルの正確さで内容を伝えなければなりません。別の言語体系で。カメラマンは「光と写真」の専門家ではあるのでしょうが、被写体の世界の人ではありません。でも、被写体の世界レベル、時には、それ以上の何かを伝えなければなりません。別の表現系で。

でも「宮大工」や「韓国舞踊」や「能」や「仏教」や「宗教」や「物理」や「医学」や「AI」や「コンピュータ」等の「専門家」とは少し違うようです。翻訳者の「言語」の『専門家』とか、カメラマンの「光と写真」の『専門家』とは違う。もちろん言語学者とかゲルマニストとか、その言語の「専門家」はいるでしょうし、オプティックとか写真工学の研究者・エンジニアとかカメラメーカとかの「専門家」はいるでしょうが、「翻訳者」や「カメラマン」とは違うでしょう。

私は、こんな翻訳者やカメラマンの居心地のいい「位置」が好きです。だからこそ、「言語」の外側にも立てるし、テクノロジーに対して客観的・批判的に鳥瞰できるし、「写真」の外側にも立てるし、「光」についても(ひょっとして「世界」についても)メタの位置から考えられる。これを「素人」というのなら、おおいに「素人」であることを誇りとしたいのです。

こういうポジションに好んで棲息していると、マネーファースト・バリバリの「ビジネス」からも距離を置いて見られるようになるのかもしれません。バリバリの「ビジネス」として訳しまくる「翻訳者」もたくさんいるでしょうし、バリバリの「ビジネス」として撮りまくる「カメラマン」もたくさんいるでしょうが。バリバリの「ビジネス」のひとだと、「コスト」と「量」結局「マネー」にとらわれてしまいがちかと思いますが、私の場合は、上述のような位置付けをしていますので、むしろ余裕が持てます。「仕事の量」としての余裕という意味ではなく、量が多くても余裕が、余裕感があります。これは、上述の位置付けから得られるのでしょう。それが寧ろ、質の高い仕事にも繋がるのではと思います/自負します。「プア」というネガティブが少し/かなり付きまといますが (;。;)。その「質」は、自己の中での質であり、それを他者が、否、他者+αが評価してから真の質が確定していくのでしょうが。自己満足かもしれませんが、まず自己の中での質の高さが「真の質」の必要条件かと思います。その意味での「真の質」こそ「プロフェッショナル」の必要条件なのかもしれません。真のプロは、真の「素人」なのかもしれません。自分が真の「プロ」だと奢り昂ぶっているというのではなく、ただ、それを目指したいとは思い続けなくっちゃ、とは思います。ほんとはめちゃ怠惰なわたしだから。

・・そうそう。翻訳者とカメラマンについて書き始めたのですが、このことは「表現者」一般にも言えることなのかもしれません。経済的「プア」は好ましいのかもしれません。

「表現者」にとって。。。ひょっとしたら、パンデミック時代にも・・・。プアとかリッチとかプロとか素人とか・・どうでもいいことじゃん!大事なことは、わたしが、あなたが、なにを大事にしたらわたしが、あなたがしあわせか・・なんじゃないの?

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