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35億歳の微生物の視点から(高々20万年程度のホモサピエンスの視点ではなく) ・・「新型コロナウィルス"COVID-19"」について


時・空計算尺Gulliver

ここ数ヶ月(4-5ヶ月)の「報道」を見る限りで、いろんなことを思い、考えました。

何度も言っていることですが、「報道」に接した時、『これを「報道」することにより、誰が最も利益を得るか?』という視点で「報道」を見ています。絶対公平中立・ユニバーサルに真な「報道」なんてあり得ないのでしょうから。

次に大事なことだと思うのは、どんなに極限状況=カタストロフだといえども「冷静なロジック=論理的思考」を大事にしなくてはいけない、と思います。

それに、私は、学者でもジャーナリストでも政治家でも情報機関でもありませんので、日常垂れ流されているテレビやインターネットのオープンソースしか入手できません。それでも、厖大な「垂れ流し」を連続してホリスティックに眺めていると炙り出されてくる何かがあるような気がします。以下、その炙り出しメモ。

階層(レイヤー)構造で整理してみましょう。生活者レベルの視点、生物的視点、政治経済軍事テクノロジー的視点の順に差し当たり重要なのでしょうが、敢えて反対から考察してみます。

1. 政治経済軍事テクノロジー的視点   「政治経済軍事テクノロジー的」と書きましたが、21世紀の現在、《政治=経済=軍事=テクノロジー》と一体化して理解しないと理解できない状況になっていると思います。つまり、シンボリックに言うと《BREXIT、ナショナリズム、EU危機、米中(「経済」でなく《政治=経済=軍事=テクノロジー》)戦争、アラブ・・AIIB、OBOR、基軸通貨、オイル、レアメタル、原発、自然エネルギ・・核、ミサイル、原潜、空母、宇宙・・5G、AI、iPS、ゲノム・・医療利権・・》を一括りにして観る視点が必要かと思います。その視点から各国のダイナミックな相互関係・力関係(つまり政治力、経済力、軍事力、テクノロジー力の力関係)をひとつの眼で鳥瞰する必要があるかと思います。

2. 生物的視点   1. の《政治=経済=軍事=テクノロジー》視点の中で、2. 生物的視点を見ないといけないと思います(ウィルスが生物か非生物かという議論は別の機会に)。階層(レイヤー)構造で整理してみましょう。人間/社会の関わり・責任のある人為・人工の階層と、その上位の自然の階層とあるのでしょう。《人為・人工の階層》も《自然の階層》に包含されます。

《人為・人工の階層》での生物的視点で言うと、パンデミックに関してグローバリズムの功罪、国家資本主義の情報隠蔽体質など縷々指摘されており、その通りなのでしょうが、米中(「経済」でなく《政治=経済=軍事=テクノロジー》)戦争も陰に陽に影響があるかと思います。「国家」というものは、人類的カタストロフでも覇権のために戦略を弄するもののようです。ある程度終熄の目処が見えてくると尚のこと、この視点が強く出てくるかと思います(現時点での中国のように)。

もう1つの原罪として『都市』そのものがあるかと思います。『都市』という人口密着構造が余計に状況を悪化させているのは明らかです。『都市』という悪循環を温存させているのは、他でもない《政治=経済=軍事=テクノロジー》なのではないでしょうか。 《自然の階層》での生物的視点で見てみましょう。35億年の微生物の歴史の中での高々20万年程度のホモサピエンスという視座は、いろんなことを示唆してくれます。微生物の35億年の歴史こそが高々20万年のホモサピエンスの存在根拠でもあるかと思いますが、その視点から見るとウィルスそのものは何ら「功罪」とは関係ない階層に位置しているのではないでしょうか。あくまでも、《人為・人工の階層》でこその「功罪」なのでしょう。

3. 生活者レベルの視点 上述1.および2.を踏まえて、3. 生活者レベルの視点を見ることにより、かなり問題が整理されるかと思います。それを踏まえない「スピリチュアル」の視点は、時として「百害あって一利なし」となりかねません。ある種の人達の根拠のない「自信」、あるいは、その「スピリチュアル」故の「安全性バイアス=(自分だけはウィルスに感染しない)」という未熟な「信仰」」も含めて非合理であり、他者に害を及ぼしかねない点で「悪」とも呼べます。「スピリチュアル」のひとと言っても特別な存在でも「選ばれたひと」でもなく、人間という生物のひとりに過ぎず、( One of Them )社会統計的存在でしかありえません。その視座では、今の時点で、スピリチュアルなんかどうでもいいとすら思います。本当は、私も「スピリチュアル」の視点で書けば、数倍も多い量になりかねませんが、ここでは敢えて自制します。

9.11 ⇒3.11 ⇒連続する大災害の時代に、確かに何らかの「変化」の時ではあるのでしょう。「9.11ありがとう」「3.11ありがとう」「台風ありがとう」と書いたことがありました。世界どころか自分自身すら見えていないという事実に気づかせてくれたのですから、今回も「COVID-19 ありがとう」とすら思えます(顰蹙を買ったらゴメンナサイ)。ただ、上述のように、《人為・人工の階層》でこその「功罪」なのだとしたら、「災い転じて・・」の譬えごとく、「人類」なんて大それた風呂敷ではなく、先ず自分自身の「さいわい」「しあわせ」にとって何をすればいいのか省察する契機としたらいいのではと思います。その際思うのは、確かに、怖がってばかりいるのは得策ではないと思います。必要以上に怖がって、自分自身の日常生活を暗いものにしたのでは本末転倒かと。十二分に警戒をしつつ、全力を尽くした後は「天命に任せる」くらいでいいのでは(それしか仕様が無いじゃないですか!)。ただ死なずに済むものを無駄に無意味に死にたくはない。

ネガティブなこと・ものを全否定してしまいたい気持ちは分かりますが、とくに日本人に「善か悪か/○かXか/ 好きか嫌いか/ All or Nothing 」の思考をする傾向が多々見られるような気がします。とくにウィルスに関しては、「共存」するくらいの気持ちでいないと自分が疲れ切ってしまいます(「放射能」に関しても「共存」せざるを得ないじゃないですか!どんなに声高に「反対」と言っても!)。

社会的な尽力(ワクチンとか治療薬とか検査とか)は別にして、先ず自分自身でできることはする。心身・身辺のクリーンな環境と自己免疫の強化と自己の社会性の再検討と再構築は当然のこととして、折角の機会ですから、自己省察の時・場としたらいいと思います。

「瞑想」是非お薦めです。それは、実は、本当は、キツいことなのかもしれません。真剣に自己と向き合えば向き合う程耐えられない・・かもしれません(me too)。しかし、漫然とぼーっと死を迎えるよりもいいかと思います。

・・いま、自分自身に対して思います。どんなカタストロフであっても、どんな手段を使ってでも生き延びる!生き延びて、このカオスでナンセンスな世界がどうなっていくのかギリギリまで見届けたい!そんな「不謹慎」な欲に執着してます(*^O^*) \(^o^)/

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