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千倉能蔵院「花まつり」一箱古本市2018.4.1に古本屋「遊ぶこども」として参加して・・時(とき)、時代の流れを超越した場所に、超越した何かに価値を置く


能蔵院花まつり

 インターネット時代→AI時代に、紙の書籍がどんな意味を持つのか、どんな意味の変化をするのか、探究/確認したくて、千倉能蔵院「花まつり」一箱古本市に古本屋「遊ぶこども」として参加した。と言うか、古本屋で日銭を稼いで糊口を凌いでいるというのが事実だが・・(^_^)ゞ。前回よりも収入は激減したが、良き出会い、再会があった。何よりも、太平洋が見える桜咲く寺は長閑で素敵だった。

能蔵院花まつり

 自分の関心領域が超特異と思い込んでいたけど、とても似たような方とお話した。

 私も、遙か昔、浦安時代に低層マンションの広いテラスを「畑」にしていた。沢山のトロ箱に土を入れ、野菜を作っていた。今、同じことをしている方だった。かなり昔だけど、福岡正信の「自然農」、中島正の「みの虫革命」に影響を受けた。その方も、福岡正信の影響を受け続けて来た果ての今とのこと。311のことから、電力システムの問題、今の世界情勢の本質に迄話が弾んだ。スピリチュアルの方でもあった。精神世界が、とても似ているのに驚いた。超マイナーなんですよ、とおっしゃるので深くは突っ込まなかったけど、意外と近い場にいるのかもしれないと、後で少し後悔した。こんな方がいらっしゃるとは・・。決してメジャーではない筈なのに。流石、能蔵院。奇蹟の出逢いを頂いた。

能蔵院花まつり

 渡辺照宏著の「南無大師遍昭金剛」と出遭って下さった方もいらっした。とても良い本である。正直、引き取っていただける方が居るとは思っていなかった。「ご縁だから」とおっしゃっていただいた。

能蔵院花まつり

 スピリチュアルの古い友人とも再会した。能蔵院とは深い縁がある方のようで、ひょつとしてお会いできるかもと密かに期待していた。大病された方にも拘わらず信仰のお陰か、とてもお元気で、ひとりで全国巡礼の旅を続けておられ、これから四国巡礼されるとのこと。安全運転で、無事祈願88ヶ所巡礼成就されることを祈る。

お寺で古本市・・・主催者、能蔵院? も初めての試みのようでした。感想など、聞いてみたい気がするが。

能蔵院花まつり

 紙の書籍が、電子書籍、インターネット検索に取って替わられつつある今なのだろうが、こんな時代に、紙の書籍の存在理由は何だろう?

能蔵院花まつり

 「写真」の世界も今、紙の印画紙からデジタルデータ画像に取って替わられしまった感がある。「写真」の専門雑誌を覗くと一目瞭然である。私自身、いまだに暗室に愛着を持っている割には、何が何でも紙焼きに固執している訳ではない。

少なくとも、カラーでデジタルプリントすることは殆どない。色が暴れるのが嫌いだった。今、プリンタ技術が進化して、かなりの発色を実現している。先日CP+で、業務用最高レベルの大型プリンタの出力プリントを見た。確かに凄い。美しい。しかし、所詮、デジタルプリントなのである。アナログのカラープリントがいいとも思わない。多分、私は、「写真」に「色」を求めてはいないのかもしれない。アナログモノクロ銀塩写真のなんとも言えない「黒」と「白」の醸し出す微妙な世界が大好きだ。単なるレトロでは決してない。全く違う特有の「美」なのだ。

 翻訳の仕事でも、殆ど紙媒体は使わない。ディスプレイ上のデジタルデータと、インターネット上の電子辞書と厖大な量の情報で十分である。それに慣れてくると、そもそも紙媒体では考えられなくなっている自分に驚く。ディスプレイ上で考えているので、紙媒体上では考えられなくなってしまっている。以前、便箋とペンで手紙を書こうとしたら、手が止まってしまったことがあった。E メールならスラスラ書けるのに。

 それでも今、毎日のように、墨と硯と半紙で、字を書いている。と言うか、字を手でひとつひとつ書く感覚を取り戻そうとしている。それが、とても快感ですらある。その勢いで、手紙を書く必要がある時にも、筆と半紙で書くようにしている。

 今、「モノ」「コト」の断捨離を進めている。だから、紙の書籍を購入することは殆どない。かと言って、電子書籍も購入しない。図書館の本と、自分の本たちを整理しつつ読み返している。それで十分である。それでも、今、自分が書いたものの電子書籍出版を手がけつつある。写真集も、そんな中で検討している。

 「表現」としての「写真」、「表現」としての「出版」なのである。

デジタルであろうと、アナログであろうと、どちらでもよい。大事なのは、「表現」である。「表現」のポリシー次第である。デジタルかアナログかは。二者択一ではない。二者択一する必要もない。強いて言えば、二者択二でよい。

 絵画は、原画/原版こそである。精緻なデジタル化した絵画もそれはそれでよい。頑なに、原画/原版主義、アナログ主義を標榜する必要もない。必要に応じて、臨機応変に自分の表現に取り入れていけばよいと思う。

 大事なことは、現実をしっかり見ることなのかもしれない。いい、わるいは、別にして、現実の重みは絶大に大きい。その激流に逆らうには、強い自分でなければならない。激流を鳥瞰するという達観も、強さなのかもしれない。

 冒頭の疑問、紙の書籍が、電子書籍、インターネット検索に取って替わられつつある今なのだろうが、こんな時代に、紙の書籍の存在理由は何か、これに応え切れていないのかもしれないが、今のAI時代に、ピンホールカメラで撮ったり、真空管アンプで音楽を聴いたりするのは決してもの好きだからではなく、何らかの根強い拘りがそうさせているのだろうから、それと同様に、紙の書籍も、紙の書籍特有の、醸し出す魅力がある故なのだと思う。

時(とき)、時代の流れに逆らうのではなく、時(とき)、時代の流れを超越した場所に、超越した何かに価値を置く。そんな生の観点があってもよいのだろう。

能蔵院花まつり


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