

千倉能蔵院「花まつり」一箱古本市2018.4.1に古本屋「遊ぶこども」として参加して・・時(とき)、時代の流れを超越した場所に、超越した何かに価値を置く
インターネット時代→AI時代に、紙の書籍がどんな意味を持つのか、どんな意味の変化をするのか、探究/確認したくて、千倉能蔵院「花まつり」一箱古本市に古本屋「遊ぶこども」として参加した。と言うか、古本屋で日銭を稼いで糊口を凌いでいるというのが事実だが・・(^_^)ゞ。前回よりも...


「あわぶっく市」に参加して・・分かる人には分かる
「本屋が少なく、本との出会いも限られているこの地域。今の世の中、ネットでピンポイント買いはできますが、それでは偶然の出会いがなかなかありません。たまたま見つけた本でその後の人生が変わってしまう、本はそんな力を秘めています。出会う場がなければ、作っちゃえ!ということで、野外ブ...


「以清浄心 供養三宝 発清浄心 供養三宝 願清浄心 供養三宝 」 創業セミナーに参加して思うこと・・徒然に
Gallery & Cafe SIGEL から SIGEL 天羽工房に軌道修正しつつありますが、その過程で、商工会議所主催の創業セミナーに参加しましたp(^^)q 風邪を拗らせてしまい、慢性副鼻腔炎・慢性気管支炎状態で、最初日から最終日までずっと一月間迷惑をお掛けしてしまい...


常に理性が大切! 常に論理が大切!
" Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen." Ludwig Josef Johann Wittgenstein 「語りえないことについては人は沈黙せねばならない」...


「いまここに在る」~カタストロフ/パラダイムシフトを生きる~
「いまここに在ることの恥(問ふ-恥なき国の恥なき時代に、「人」でありつづけることは可能か?)」辺見庸(2006.7.15 毎日新聞社) 今、地球規模で気候変動のカタストロフの時代である。 今、世界規模で政治経済のカオス化カタストロフの時代である。...


日常生活24時間すべて
Vipassana Meditaion の徒・途であってこそ 所謂一般的意味で「専門家」「professional」「specialist」或いはVipassana Meditaion の徒であるためには、日常生活24時間すべてを捧げなくてはならない。「写真家」は、日常生活...


ひとりのにんげんとして
與謝野晶子は言う。「まことの歌や文や作らぬ人に、何の見どころか候べき。」 しかし、與謝野晶子は所謂「専門家」として「まことの歌や文」を作っていたのではない。鳳志ようを「與謝野晶子」にした必要条件は、與謝野晶子が「ひとりの人間」「全的人間」として生きていたからである。自らの生...


異次元
風強き夜明け前 トリップした インドの遺跡内の、しかし聖地だった 瞑想している聖人の傍を通った 銀塩カメラを構えていた 調合した薬剤で現像液をつくっていた 無くなった景色 無くなった故価値がないのではない 小杉智がいっしょだった 迷うこと それこそが啓示だと...


「心行」
2014.1.12-3.17 宮大工棟梁・松本高広とその弟子のまなざし-村上由朗モノクロ写真展のために 2013.11.14-2014.1.11 SIGEL 個展に向けて準備のため臨時休業して暗室に籠もった。その数ヶ月前故...


表現者
「歌は歌に候。 まことの心うたはぬ歌に、何のねうちか候べき。 まことの歌や文や作らぬ人に、何の見どころか候べき。」 與謝野晶子 文章表現は、所詮、文章表現に過ぎないけど、まことの心を表現しない文章表現に、何の値打ちがあるのだろう。まことの文章表現や詩・俳句・歌・絵...