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「心行」

  • 大塚巧
  • 2017年7月13日
  • 読了時間: 3分

高橋信次

2014.1.12-3.17 宮大工棟梁・松本高広とその弟子のまなざし-村上由朗モノクロ写真展のために

2013.11.14-2014.1.11 SIGEL 個展に向けて準備のため臨時休業して暗室に籠もった。その数ヶ月前故 2013年夏頃からだろうか、作品制作のためにBlog を開始した。4年目ということになる。

 SIGELのホームページ自作のために、自分自身のホームページを試作した。ネット上彼方此方にあるフェースブックや、ツィッタなどともリンクしつつ、何よりも先ず自分自身が自分自身を知る・客観視するという目的がはっきりしている。だから試行錯誤のホームページである。

 エントリトップページから入ると写真ギャラリーのページから各ページに飛べるような構成になっている。一番最初のページが「心行」である。自己紹介Vorstellen の関心領域の最初も「心行」である。

 自分のことは自分がいちばんよく知っている・・というのは根本的に間違いである。自分のことは自分がいちばん知らない・・他者が見た「自分」こそが真の自分である(真の自分に近い)。自分自身を徹底的に客観視するVipassanaこそが、此のホームページの眼目でもある。

 とすると、私は、「心行」と出会うために右往左往していたのかもしれない。

 心身の健康の師である治療師故・佐藤雅子さんから遙か昔に「心行」の小テキスト/経典をいただいていた。佐藤雅子師の「明来闇去」の達筆な書が裏表紙に認められていた。見事な達筆である。しかし、恥ずかしくも、その小テキスト/経典は、本棚に押し込んだまま時間が無駄に流れてしまっていた。つい先日偶然目にして、雷に打たれた。建築インフラの工事が終わって、次のステップに進まんとして、熱射病気味もあって朦朦としていた私にとって最も必要な内容だった。佐藤雅子師がそのことを予見して準備していてくれていた。「明来闇去」の書を書写してみた。ハッとした。佐藤雅子師の霊的レベルの超高さを確信させられた。

 Holistik /「ホリスティック」と自己を位置附けて、写真・翻訳・建築・調理・藍染め染織・詩歌俳句・哲学・・・と多様な関心領域に統一を持たせようとしてきた。1本筋を通そうとしてきた。まさに右顧左眄だった。

 私のHolistik /「ホリスティック」の「書」(本)の「序」は、「心行」が来る。2-4,5歳の、天がひっくり返る程のPTSDのトラウマから60年前後経ってやっと分かった。私という「本質」の関心事は、Holistik /「ホリスティック」であり(その点では基本的前提は間違っていなかった)、「心」の「行」つまり「心行」だった。そのことを再確認できた。

 つまり、写真・翻訳・建築・調理・藍染め染織・詩歌俳句・哲学・・・と多様な関心領域に対して上のレベルに位置して統括する役割を果たすのが、此の「心行」であり、謂わば、Vipassana Meditation である。一般的には、「心行」とVipassanaは、別の概念なのだろうが、私は、両者を同一視する。それが私の「心行」であり、私のVipassanaである。

 現実、一日のはじまりは、Vipassana Meditationであり、歩行冥想であり、神仏への祈り、勤行であり、小テキスト/経典の音読であることも、上述の到達点を裏付けする。


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