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好きな写真と写真家 ユージン スミス「ジャーナリズムのしきたりからまず取りのぞきたい言葉は『客観的』という言葉だ」


 ユージン スミス(William Eugene Smith)の写真たちで一番好きなのは、この一枚『楽園へのあゆみ The Walk to Paradise Garden』(1946年)です。

 この素敵な写真といつもセットにして想起するのは、この一枚『ミナマタ Tomoko Uemura in Her Bath』(1971年)です。

 モノクロ写真を自分で現像・焼き付けする者として「写真」そのものとして目標かもしれません。締まった「黒」と限りない「白」のコントラストが「風景」を崇高な場に高めています。被写体と撮影・暗室技術は、かくありたい!そう思う一枚です。

 「楽園へのあゆみ」すら適わない少女をそっと抱いて入浴させる母親の顔は、穏やかで我が子に対する愛情溢れる微笑みすら湛えており、「観音様」のお顔そのものです。・・合掌しつつ涙が零れます。

 此の少女を、こんな姿にした加害者は、チッソ水俣工場の排水です。と言うか、「近代」そのものでしょうか。

そして、此の風景は、私の原風景でもあります。当時、水俣のみならず、大牟田の三井三池炭坑・製作所の工場排水による有明海沿岸の汚染も酷かったのです。水俣からリヤカーで行商に来ていた魚屋さんの魚も沢山食べて育ちました・・。

 1982年開催の「ユージン スミス展」のカタログp.5「ごあいさつ」で、「ユージン・スミスの目指したものは、強者と同様、弱者にも見出される美と尊厳を証言することだった」とジョン・G・モリスが書いてます。

 少し違うかなと思います。強者の圧倒的な力を前にしても、「強者」に決して平伏すことのない弱者にこそ見出される(強者には決してない)美と尊厳を証言することだった・・のでは、と思うのです。

 そうであったからこそ、「ジャーナリズムのしきたりからまず取りのぞきたい言葉は『客観的』という言葉だ」というユージン スミスの言葉なのだと思うのです。

 「写真は見たままの現実を写しとるものだと信じられているが、そうした私たちの信念につけ込んで写真は平気でウソをつく」とも言う。此の「写真」「イメージ」の莫大な『力』を私たち「弱者」より一層熟知しているのが「権力」であり、「強者」であり、権力に媚び諂う今の日本の「マスコミ」なのかもしれません。

 『客観的』という言葉が、そんな「力」を持って闊歩しているのが今の日本なのかもしれません、恰も『客観的』という公平中立な「立場」が存在するかの如く。「加害者」か「被害者」か・・其の二者択一しかないのが現実であって、『客観的』イコール「加害者」なのである・・そう思います。そして、自分自身も「加害者」に成り下がっていることにはたと気付きます。


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