好きな写真と写真家 鈴木秀ヲ 写真集『Pater noster 少年の科學』
- 大塚巧
- 2017年8月16日
- 読了時間: 3分
鈴木秀ヲ先生は、私の写真の師です。銀座の写真弘社の写真スクールで鈴木秀ヲ先生に学びました。その後、暗室作業もしっかり教えていただいたことは、私にとって至福です。写真集『Pater noster 少年の科學』の各プリントを見ると分かりますが、鈴木秀ヲ先生の暗室プリント技術は天才的であるからです。
鈴木秀ヲ先生と私は、実は同じ年齢であり、同時代を生きてきました。「少年」という言葉にも「科學」(此処で「學」という漢字なのが肝心(^0_0^)!)という言葉にも何故かワクワクするのも同時代ということが関係しているのかもしれません。
私は、少し事情があって(PTSD)、2-3-4歳の頃の記憶が鮮明に残っています。三池炭坑の炭住で、近所の子と幼児ふたりの遊びは・・・実は『錬金術ごっこ』だったのです! 勿論「錬金術」という言葉は知らなかったのですが、泥や水や訳の分からない液体を煉瓦の上で混ぜ合わせて別の物、固体、金属 ? を造ろうとしていたのは確かなのです。本気でした。あと、笑えるのは、小さな水溜りで「池」をつくって、脇に小さな「山」をつくり、「池」に泥鰌(夜店で掬ってきた金魚?)を放して「山」頂から、拾って来たドングリを転がしました。泥鰌がドングリに「ボッチャンコンニチハ」と「話す」のを今か今かと真剣に見つめました。マジ真剣でした! (初めて告白したかもしれない・・) (*^O^*)
小学生の頃、真空管ラジオからの短波放送に嵌まりました(ケネディ暗殺を周囲の大人の誰よりも早く知りました)。中学生の頃、ゲルマニウムラジオ→トランジスタラジオ制作に嵌まりました。秋葉原に部品を買いに行きました。アースからアンテナまで引きました。その勢いで高専の電気工学科に進んだのです。当時未だ「電子計算機」だったコンピュータ専攻でした。パルス回路をICで作ってオシロスコープで波形を見て遊んでました。素朴なプログラム言語を使ってプログラムを組んで電子計算機に計算させました。一応、トランジスタの大型電子計算機MELCOMが学校にあったのです。・・・・
そんな事情で、本来なら今ごろ、何処かの電気会社の工場を「技術者」として定年退職していたかもしれないのですが、実際は「ヤクザ」な人生を送ってしまった/しまっています。
しかし、多分、高専を卒業した同窓生の中で、学校で学んだことが直接一番役立ったのは私かもしれません。電気関係の翻訳者だったから。でも、電気関係の翻訳者は、決して「電気技術者」ではありません。
鈴木秀ヲ先生の『Pater noster 少年の科學』の撮影意図からずれているかもしれませんけど、其処に写し込まれている世界は、正に私の人生・世界かもしれないとも思います(不遜にも)。
「技術者」「科學者」に憧れつつ「技術者」でも「科學者」でもない「自分」・・・そんな自分に、正直、後悔も自負もどちらも在ります(T-T)(*^ー^)。矛盾してますが・・。
鈴木秀ヲ先生はどうなのかは分かりませんが、ひょっとして鈴木秀ヲ先生もそうなのかもしれませんが、実は、私は、未だ「少年」なのです(^0_0^)! (カミングアウトしてしまった! )
そして、未だに本気で「科學」に憧れている「少年」なのです!
本来のレールのまま、何処かの電気会社の工場の「技術者」になってたら、まともに普通に「大人」になってたかも知れませんが・・・。今でもよく読む本は、天文学だし、宇宙論だし、「科學」関係が多いのです。ホーキングファンです! ホーキングの宇宙誕生の議論とかにワクワクしますo(^-^)o
書いていて支離滅裂になってきましたが、とにかく、鈴木秀ヲ先生との出会いも、私にとっては「宝」です。未だに交流していただいているのは、奇蹟に近い光栄なことなのだと思います。ありがとうございます。


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