好きな写真と写真家 황헌만 黃憲萬
- 大塚巧
- 2017年8月16日
- 読了時間: 2分
写真集「草家」(チョガ) に写っている草の家は、今は、もうない。朝鮮の土地と一体化スレスレの素材で造られた「住」。農民の強かな智慧がふんだんに盛り込まれている。必ずしも常に優しいとは限らない「自然」といい感じに折り合いをつけている。否、「自然」と「生活」の二分化すらせず、自然と一体化した生活、自然そのものの生活の場が、其処には在る。
こんな生活を拒否するのが、今、我々が棲んでいる反自然都市型文化社会である。
こんな強かな民に襲いかかったのが「豊臣秀吉」であり、『日本帝国主義』である。なんと傲慢なのであろう。
嘗て、写真集「草家」を日本で出版しようとした関係で、「草家」に収録されている朝鮮の「藁葺き屋根」建築についての論文を日本語に訳したことがある。「トゥレ」(Dure-kut/ Korea )と呼ばれる「結」「ゆいまーる」、つまり、農民の隣人同士の相互扶助の仕組みが前提であり、有効に働いていた。つまり、「大工」という「専門家」が造るのではない。棲む者たちが部落で村で共働で建築する。此の関係にこそ、「良き社会とは何か?」の手掛かりがあるのかもしれない。
黃憲萬先生は、私の写真の師である。陰暦正月直ぐ後の満月の日に村を挙げて祝う大満月日/テーポルンタルナルに、原発のある霊光/ヨングァンの村に一緒に行って撮影した。村びとと冗談を言いながら撮影する黃憲萬先生に「撮影」のなんたるかを学んだ。夜中、と言うか早朝まで飲み、話し、早朝から撮影に出発したことも・・。この時一緒に現場に入った民俗学者チュグァンヒョン先生から、相互扶助の仕組み「トゥレ」についての学術論文も頂いた。
その後、黃憲萬先生には大変お世話になった。深夜迄、スピリチュアルの話をふたりでソウルの飲み屋でしたこともあった。美術館での撮影にも同行させていただき、現場で教えていただいた。寺院での撮影、ムーダン(韓国シャーマン)の祈祷現場での撮影、銀塩からデジタルへの移行期にアナログ→デジタルの変換の黃憲萬先生流のやり方もスタジオで教えていただいた。コマーシャル撮影の現場にも立ち会った。黃憲萬先生らしく、被写体と冗談を言いながらカシャカシャ撮るスタイルは印象的だ。スタジオの活気のある撮影現場の雰囲気と、暗室特有の薬品の匂いが強烈に私の記憶に残っている。
黃憲萬先生と、韓国は、私にとても大きな宝物をくれた。私は、ひとに恵まれている。それなのに未だ私は、それに応えていない。ひとの縁の宝に応えなくては・・・p(^^)q


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