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好きな写真と写真家  Josef Sudek 「写真は平凡なものを好む」


 「プラハの詩人」「光と影の作家」と呼ばれるヨゼフ・スデクは、写真の目的とは「影を捕らえる」こと、と言う。そして、「写真は平凡なものを好む」とも。

 その言葉通り、スデクは、ナチス支配下のチェコ・プラハの街をひとり木製大型ビューカメラで撮り、アトリエに帰って現像・焼き付けした。あるいは、アトリエ内で、その辺に雑然とある物や、アトリエの窓から見える「日常」を撮った。しかも、片手で。不自由にも。

 スデクにとって、写真は「詩」であり、「光」に伴う「影」こそを撮った。文字通り、「撮」「影」である。「詩」同様に「影」こそが大事なのであろう。言葉に発せられなかった部分にこそ「詩」の本質があるように。

 「写真は平凡なものを好む」・・・この文脈には「アンデルセンのお伽話のように、生命のない物体の人生のストーリーを写真で語りたい」とある。「生命のない物体」も、「平凡な」「日常」の中にある「光」と「影」でしか、その本質・生命を顕すことができない故であろうか。

 つまり、「日常」は、時間の流れに身を任せていれば淡々と過ぎ去っていく性質のものなのかもしれない。判断停止したまま。それに抗おうとすると、「日常」の非日常性に気付く。そして、「時間」を超越する。つまり、永遠につながる。「写真」には、そんな魔力があるのかもしれない。

 神は静かな場が好き。スデクのように、静かに散歩する老人のように、喧噪な街中でも、森の中を歩くように、そんなふうに「写真」を撮りたい。「日常」に、「日常」の非日常性に手を合わせる信仰者のように。


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