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好きな写真と写真家 ベッヒャー「採掘塔 Winding Towers 1962-1966」・・「実在と写像との間」


 2005年開催の「ドイツ写真の現在」(東京国立近代美術館)のカタログ"Zwischen Wirklichkeit und Bild Positionen deutscher Fotografie der Gegenwart"の冒頭にあるベルント & ヒラ・ベッヒャー (Bernd & Hilla Becher) の「採掘塔 Winding Towers 1962-1966」の写真が好きです。

 これら「採掘塔」は、あまり眼にすることは少ないでしょうが、実を言うと、私にとっては原風景なのです。幼児時代を過ごした三井三池炭坑の炭鉱住宅では日常的に、炭鉱の、こんな「採掘塔」が見られました。理屈抜きで、「原風景」としてのイメージは強烈に私自身の基層となってます。

 タイトルの"Zwischen Wirklichkeit und Bild"ですが、カタログの「ごあいさつ」を書かれたゲーテ・インスティトゥートの事務総長は、「現実とイメージのはざま」と書かれて(訳されて)ますが、私のこだわり訳では、「実在と写像との間」としたいところです。そう、L.Wittgenstein を想起させる訳・言葉使いでしょうか。

 前述の私の「原風景」と、未だに燻っている当時のPTSD、つまり、私にとって今も「現実」である「イメージ」を考える上では、此の拘りは重要なのです。

 正に、此の点において、ベッヒャ夫妻、と言うか、「ドイツ写真」の理屈っぽさ、と言うか、ドイツ写真のロジックとプライベートな場でもつながるのです。この関連では、トーマス・シュトゥルートも好きなのですが、またの機会に述べます。

 此の「採掘塔 Winding Towers 1962-1966」が撮られた60年代から80年代~2000年~現在に至る迄、写真の世界は、「デジタル化」により致命的に大きな、大き過ぎる変化を遂げました。それと同時に、世界も冷戦時代から現在のカオス→カタストロフ状態(・・と言うか・・新「秩序」と言うか、北朝鮮に典型的な「劇場的」多層化と言うか・・詳しくは別の機会に)へと変化しました。「デジタル化」のテクノロジーも、敢えて「デジタル化」という言葉を使わずとも、敢えて言う「デジタル化」という言葉自体が化石化しつつもある現在、更にインテリジェント化→AI化へと、爆発的変化(「進化」ではなく)に向かっています。こんな時代に、こんな時代だからこそ、少し立ち止まって、「『写真』って一体何?」って再考することは意味があるのではないかと思うのです。

 世界自体が、人間自体が均質化しつつあるのではないかとも思うと同時に、多様化もしつつあると同時に、二分化もしているのではないかと感じるのですが、そんな矛盾した私自身の人間観・社会観に戸惑うばかりです。(詳しく言うと長くなるのでまた別の機会に追々として・・)

 こんな自分自身の脳内カオス→カタストロフ的思考の一助に「写真」は、特にドイツ写真は役立つのではないかとも思います(なかなか接する機会が少ないのですが)。


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