好きな写真 ニエプス(Joseph Nicéphore Niépce) 「ル・グラの窓からの眺め」(1826年か1827年ごろ撮影)
- 大塚巧
- 2017年9月1日
- 読了時間: 4分

ニエプス・・写真家ではなく、カメラの発明、写真技術に大きな役割を果たした人でしょうか。
以下、ウィキペディアからの情報・・
「彼は腐食防止用に使うアスファルトの一種でパレスチナ原産の「ユダヤの土瀝青」(どれきせい、ビチューメン)が、光に当てると硬くなって油に溶けなくなる性質(→フォトレジスト)を利用しようとした。まずは版画の制作を行った。磨いたシロメ(白鑞)の板に瀝青を塗ってこの上に紙に描いた絵画(ニスを塗って紙を半透明にしたもの)を置き、太陽に当てると、絵の線の部分はよく光が当たらず瀝青が固まらないままになる。この板をラベンダー油(ラベンダーの精油)で洗うと、光が当たって硬くなった瀝青は残り、線の下にあって固まらなかった瀝青が洗い流され、結果として板に溝が残る。ここにインクを入れて印刷原版にするというアイデアだった。ニエプスは自分の技術を「太陽で描く」という意味の「ヘリオグラフィ(héliographie)」と呼んでいた。・・同様に瀝青を使うことで、カメラ・オブスクラによる風景の画像も定着させることができるはずと彼は考えた。彼が像を長く定着させることにはじめて成功したのは1824年のことといわれる。彼が作った画像の中で残っているもののひとつは、1827年の6月か7月にできた、窓の外を写した「ル・グラの窓からの眺め」である。」
「世界の写真家101」の表紙にも使われている、此の写真「ル・グラの窓からの眺め」そのものが結構好きなのです。

「「写真」というテクノロジーは、其れまでの技術とは違った、ある種「形而上」的な何かに達した行為、「世界」と「私」の「形而上」的な「根拠」と関連したパラダイムシフトだったのかもしれない。」と森山大道の個所で述べました。
「ル・グラの窓からの眺め」が、其のパラダイムシフトの第一歩だったのでしょう。人類が、自己を取り巻く周囲「世界」を、具体的イメージである「もう一つの現実」(森山大道)として「開示して見せる」(森山大道)ことができ、しかも、時間的に持続して「写真」として提示したのですから! 此により、自己と世界とを鳥瞰するメタの立場を具体的「物」「現実」=「写真」として獲得したのですから、此の写真「ル・グラの窓からの眺め」は、人類史的記念碑と言っても過言ではないのでしょう。
嘗て、宮大工撮影した鎌倉瑞泉寺の宮大工松本棟梁から、「自分でカメラを作らなくては」と言われたことがあります。それで、今年前半の建築インフラ整備集中期間で建築した小さな部屋は、実は、最初の計画では、正に此の「カメラ」だったのです!部屋全体を「ピンホールカメラ」にしようと計画したのです。部屋は、できたのですが・・・どうしようか思案してます。部屋自体を「ピンホールカメラ」にするのはともかくとして、「写真」ということの最初源に戻ってみたい!という気持ちはあります。(既に、「日光写真」は宮大工展で開始しています。)「写真」そのものが一体何なのか、今だからこそ、AI革命、AIパラダイムシフト時代だからこそ、考えてみたいのです。

ニエプスの使用したカメラ・オブスクラ
と言う訳で、2017年前半に「建築インフラ整備集中期間」として一応一定の成果を達成しましたので、2017年の残り時間は、「写真/暗室集中期間」としたいと思います。頑なに、排他的に、アナログ、銀塩フィルムと自己限定するのではなく、まぁ、アナログの側からが中心になりますがデジタルをも射程に入れつつ、アナログフォト、と言うか、ニエプスに始まった非デジタルの光学「写真」の意味を問い返したいと思うのです。
但し、「建築インフラ整備集中期間」中もそうだったのですが、藍の仕事も一定あり、糸作り(麻績み)も織りも縫いも、そして、建築も未だやり残し個所もあり(実は)、母介護もあり・・と、やるべきことは沢山あるのですが、一番弱い季節の夏も終わりかけていて、一番好きな季節、秋到来の様相にもなってきたので、自分に気合いを入れるためにも(大工にとってもカメラマンにとっても「気合い」って大事かも)、9月1日から「写真/暗室集中期間」開始としたいと思います。まぁ、ブログ記事「好きな写真家」シリーズで、既にスタートしているようなものですが。
Comments