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私が撮った写真 「母方祖父母」 一言で謂ふと「パラダイムシフト」


 この写真を撮ったのは、確か、小学校4年の夏休み。小学校で写真クラブでした。熊本の母の実家に帰省した時にリコーの二眼でモノクロフィルムで撮ったものです。母が仏壇に飾っていてくれたお陰で、此の写真だけ残ってます。

 今、此処で、私にとっての「写真」について問い返していく作業を進める過程で、他でもない私自身について問い返しているのだと思います。自分のことは、自分がいちばん知っている、ということは間違いで、本当は、自分のことは、自分自身が一番知らないのかも知れません。

 日本のエネルギ構造が石炭から石油にシフトする過程で起こった三井三池労働争議の真っ只中の炭鉱住宅(炭住)で育つ中、三井三池労働争議の表舞台・光の裏・陰で、その場を生きた人間の悲劇が沢山あって、私自身もそんな「事件」に翻弄され傷付けられ、PTSDのトラウマが治癒しえない傷として疼き続けています。

 其のトラウマに起因する「大きな問題」こそが私にとって重大関心事であって、学校の勉強どころではありませんでした。要するに、「自己」が問題だったのです。何故「自分」は貴方ではなく彼処でなく此処にひとり居るのか、「自分」は何なのか、何故「世界」は在るのか、「世界」と「自己」の関係、「自己」と「他者」の関係が「自己」の死の問題と絡めて大問題・解答不能のアポリアだったのです。

 加熱し過ぎた進学競争を避けるべく、工業高専電気工学科に進みました。未だ、コンピュータが「電子計算機」だった頃、「電子計算機」に夢中になりました。ハードウェア=パルス回路からソフトウェア=プログラムと勉強していきました。当初トランジスタ素子だったのが、やがてIC時代となり、私の関心も「コンピュータの基礎」原理に向かい、フォン・ノイマンの「オートマタ」(=数学)と出会い、フォン・ノイマン自身がそうであったのと同様に、「人間」そのものの「情報処理」視点での考察へと向かいました。

 ロジック(論理学)・言語分析の哲学への関心から、大企業に就職する同級生を横目に大学の哲学科に進学しました。夜間に大企業コンピュータ室の超大型コンピュータのシステムオペレータのアルバイトをしながら昼間に大学に通いました。そのまま、論理学・分析哲学を学びつつ、システムオペレータの実務のまま、コンピュータ業界に就職していればよかったのですが(実際、コンピュータ業界の一部上場の企業に就職内定していました)、コンピュータという業界の非人間性に現場で気付き、アンチ分析哲学→古典ギリシア哲学に関心が行き、結局、ドイツ人経営の翻訳会社に就職しました。

 電気課所属で、電気関係の独和翻訳を30年近くやりました。その過程で、テクノロジーのパラダイムシフトに立ち会いました。当初は、工業高専で学んだ電気回路の知識が大活躍し、辞書を山積みにして紙と鉛筆でやっていた翻訳作業が、ワープロ→コンピュータに変わっていくのに連れて、翻訳内容も様変わりしていきました。

 テクノロジーの発想自体が根本的に変わりました。要するに、電気回路の単純な一階の論理ではなく、素子がIC→LSI→VLSI→ULSI→と進化するに連れて、多層の論理で自己を制御し、自己増殖するオートマタのロジック(要するに「AI(人工知能)技術」)を独逸語という自然言語で表現した内容なので、文学部独文科出身(入社当初は大部分文系出身の翻訳者でした)では歯が立たなくなっていったのでした。理系で独逸語・英語ができる若者が次第に増えました。

 コンピュータ化のお陰で、年功序列が完全に崩れました。年配のベテラン翻訳者が、新入社員に敬語で質問する場面も実際に目にしました。私の場合、幸いにも「電子計算機」専攻で、フォン・ノイマンの「オートマタ」の洗礼を受けていて、しかも、超大型コンピュータの実務経験もあったので、ギリギリセーフというか、率先してMRIとか加速器(素粒子)とかAIとか光工学とかシステム関係の先端技術の翻訳に携わりました。

 そんな中、大学4年の時、教員免許の教育実習で行った中学で写真部の顧問となり、ライカと露出計と暗室に出会い、電子回路で動くカメラを尻目に、電池のないライカに憧れていきました。

 独和翻訳の仕事の傍ら、「韓国」をきっかけにして「写真」に取り組みました。一眼レフカメラでのカラーフィルム・モノクロフィルムを使った撮影からモノクロフィルムの「暗室」に嵌まりました。此処でも、デジタルカメラの登場→全盛化の過程で、カメラテクノロジーのパラダイムシフトを体験しました/体験し続けています。「写真」自体が、この「波」に大きく翻弄されているのでしょう。

 人生で、サイエンス・特にコンピュータサイエンス・テクノロジー・カメラの大きなパラダイムシフトを体験したことは幸いだったのかもしれません。そのお陰で、人生最初に起こったトラウマに起因する「大きな問題」と常に新鮮な気持ちで挌闘し続けて来れました。余りにも大きすぎる「変化」についていけず、「何故?」と考えざるを得ないからです。今、自分にとっての「写真」について省察する過程で、私にとっての「写真」とは、幼児の時からの「大きな問題」と、パラダイムシフトの中で挌闘することだったのだと気づいたのです。牛腸茂雄と同じように「自己と他者」が問題であり、マン・レイと同じく『魔術的な呪術』性こそを「写真」「イメージング」に求めているのだと思うのです。「大きな問題」と挌闘するために。


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