追加補足・・・1963三井三池三川炭鉱炭塵爆発事故と三池主婦会
- 大塚巧
- 2017年10月28日
- 読了時間: 3分

父が東京本社に「栄転」した直後、1963年11月9日午後3時12分、三井三池三川炭鉱炭塵爆発事故が起こりました。死者458名、一酸化炭素中毒(CO中毒)患者839名を出したこの事故は、「戦後最悪の炭鉱事故・労災事故」と呼ばれました。三井三池争議で、労働組合=第一組合の組合員の大量不当解雇を時には暴力を以てしても容認し、職場を「断固死守」した筈の御用労組=第二組合の組合員こそが、皮肉にも、その被害者でした。「去るも地獄、残るも地獄」と言われました。生き残った者と雖も、事故後50年を経過しても、80人以上の患者が廃人同様の闘病生活を強いられています。
事故原因は、三井三池争議に端を発する常規を逸した「合理化・大量解雇・人員整理」のために、安全対策が等閑にされて保安無視の生産第一主義になっていたこと・三井資本の「三池炭鉱に限って炭塵爆発事故など起きるはずがない」「実際に何十年も起きていない」という「安全神話」にこそあります。
父は、何を思ったことでしょうか。
自分に責任があると思ったでしょうか。
母は、何を思ったでしょうか。
自分にも責任があると、少しは思ってくれたでしょうか。
父の酒乱・母に対する暴力は、その気持ちの反映でしょうか。
これに関しては、父も母も、私には、一言も語ってはくれませんでした。
死者に鞭打つことはしたくありません。特に、自分の父母に。しかし、母の通夜の晩に初めて、ジグゾーパズルの最後のピースがぴったり嵌まって全貌が見えて来たのですから仕方ありません。
私が、此の父母を選んで生まれて来た理由が分かりかけてきているのかもしれません。私自身が、自分では処理しきれない程大きな「業」を背負って生まれて来て、父母が、其の巨大な「業」に対する落とし前をつける「手助け」をしてくれたのかもしれません。其のために、父母は、更に大きな「業」を負ったのでしょう。
私の為すべき使命は、自分の、其の「業」の落とし前をつけつつ、そのために父母が負った更なる「業」の落とし前もつけることなのでしょう。つまり、三井三池三川炭鉱炭塵爆発事故で、「近代化」、主体性なき非国家「日本帝国主義」に殺された死者458名と、一酸化炭素中毒患者839名に対する責任も私も負うべきなのです。
人間は、過去に学ばないものだと思います。特に、日本人は。
三井資本の「三池炭鉱に限って炭塵爆発事故など起きるはずがない」という奢りは、そのまま、311前の原子力村そのものです。いや、311後も何も変わってません。人類は、特に、日本という「国」と呼ばれる資格すらない単なる「烏合の衆」は、もう手遅れなのでしょう。
それでも、最後迄仲間を裏切らず、「ひと」としての誇りを失わなかった三池労組=第一組合、三池主婦会の矜持を自分の原風景に持たせてくれた父母に心から感謝しつつ、父母と私自身の罪を償うべく余生を送りたいと思います。
2017.10.28記
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