好きな写真と写真家 安井 仲治 THIS IS "写真". 「写真」が『写真』らしかった頃
- 大塚巧
- 2017年8月28日
- 読了時間: 3分

Instagram の写真たちを見ていると不安になる時がある。そんな時、「安井仲治」を見る。ホッとする(*^o^*)
「写真」が、本当に『写真』らしかったのは、「安井仲治」の時代だったのかもしれない。勿論、社会的時代は、戦争に向かっていて、とても厳しい時代だったけど(今と同じ)、「写真」の「時代」としては、とても良かったのではないだろうか(遠い未来に今2017年頃の"Instagram"は良かったねという人が居るのかもしれないけど)。
「写真」という言葉から直ぐに出てくるイメージというのは、年代によって異なるだろう。私の年代だと、革のケースに入った高価で貴重なカメラと、1回毎にランプを交換していたバカでかいフラッシュと、モノクロフィルムとパトローネだろうか。何か、とても格好いいことをしているような、そんな時代の先端を行っている気分もあったのかもしれない。一緒に遊んでいた女の子のお父さんが、そんなカメラマンだった。自分でフィルム現像していた。だから、沢山のパトローネで「積み木」をするのが遊びだった。

私が初めて自分のカメラを持ったのは小学校3年頃だっただろうか。リコーの二眼で、まだモノクロフィルムで、小学校で写真クラブだった。写真クラブで、石神井公園によく撮影に行った。雑誌の付録だった玩具のピンホールカメラに夢中になった。
そんな当時が想い出されるのは、"Instagram"ではなく、「安井仲治」からである。
「カメラ」が大切で大切で、撮りたい気分がいっぱいで、身の回りで眼にするものをワクワクしながら撮りまくる、そんな「安井仲治」が伝わってくる。

1922年に撮られた移動式の屋台のようなのを撮った一枚が気になる。
1922年といえば、関東大震災の前年。私の父も未だ産まれていなかった。江戸時代にもありそうな「蕎麦屋」なのか、立ち飲みの屋台なのか、それとも団子売りなのか。ひょっとしたら、撮影時にも既に消えつつある風景だったのかもしれない。
よく見ると、手前の草にピントが合っている。「安井仲治」初期の頃の写真で、ピントが合わなかったのか、合わせなかったのか分からないが、とても好きな一枚だ。もっと沢山「安井仲治」を代表する写真はあるのだが。
何故か、「一遍上人絵伝」を見た時の感覚が蘇る。「一遍上人絵伝」を見た時、無性に「此の現場に立ちたい」と思った。其処にも草が描き込まれていた。「一遍」聖の聖なる空気感漂う「場」に身を置きたいと熱烈に欲望した。「一遍」という奇蹟に近い「風景」を「残さねば」という強い意志で、「一遍上人絵伝」は描かれたのだろう。
1922年に安井仲治がシャッターを押したのは、どんな「意志」なのか分からないけど、「写真」には、そんな「力」があるように思う。或いは、意識すらせずにシャッターを切ったのかもしれないけど、今、この写真を見る私には、奇蹟に近い「聖なる風景」に見える。かつて、実際に此の世に現象した風景として。此処では、「時間」は、意味を喪失している。「熱烈な欲望」を実現させてくれる。
「安井仲治」の撮る写真たちには、そんなことを感じさせてくれる一筋の流れがあるように思う。そして、この流れこそ、「写真」が『写真』であった、よき時代の徴表を示しているのだと思う。
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